横尾の辻 109.71m 10.02.20 (よこおのつじ)
前週に続き「島の山」シリーズ、今日は志々島に行く。 8:30、詫間の宮の下港を小さな船で出発。志々島は車道がないので客船だ。 |
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8:50、あっというまに志々島に着く。乗客10人ほとんどが下船。島の人口30名のはずだが・・・? |
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港の前にはたくさんの人形が出迎え。 徳島祖谷の農作業服と違って、街着のような明るい色のセーターやジャンバーが多い。 人形が過疎の象徴のようで少し寂しさを感じる。道沿いにはパネルがかけられており、島の全体像が理解できる。 |
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島の分校は94年に廃校になったんだ。 明日は小生の母校の閉校式。町の学校も閉校する時代。 志々島は茶粥の里だって〜。碁石茶で作るそうだ。 映画「男はつらいよ」「機関車先生」のロケ風景の写真は当時の島全体の心意気が感じられる。 |
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しばらくは「大楠」の案内板のとおりに歩く。 道が分からなくなった。近くにいたお年寄りに聞き、細い路地を上の方に進む。 |
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9:15、展望のある所に着くが、畑だった。 西に進む道がなかったので、いったん港に戻ることにした。利益(りやく)院が見えている。 |
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港で、近くにいる人に横尾の辻への道を聞くと、「海岸沿いの道へ行き、階段がある所から上に登り、 途中の水道タンクまではカヤを切ってあるが、それ以上はヤブで大変だろう」と教えてくれた。 9:22、山頭神社を過ぎると小さな小屋のようなお墓があった。埋め墓だ。佐柳島で見た両墓制がここにも。 |
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9:25、立派な鳥居が見えてきた。八幡神社だ。階段を上がるときれいに掃かれた境内だが続く道がない。 |
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仕方なくヤブへ突入。 9:36、山頂(?)と電柱が見えてきた。 |
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9:39、きれいに刈られた農道に出た。 集落からの本来の道かな。 |
9:42、右手に山頂へ向かうコンクリート道があり、 電線沿いに登って行った。 |
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9:44、最初の雨水タンク。 |
西方向に荘内半島と粟島が見える。 | |||||||
きれいに刈り取られたカヤの中を進む。 |
9:47、峠の雨水タンクに着く。 | |||||||
左手に頂上が目の前に見えるが、道らしきものはなく、とげのあるイバラだらけのヤブだ。 ハサミで切りながら進む。 そのあとは又スズタケのジャングル。 10:18、一番高いところに着く。少し周りを探すが三角点は発見できず。 ザックを木にぶら下げ、ここを頂上として納得することにした。 |
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すぐに下山開始。来たルートで帰る。 10:33、さっきのタンクのところに戻った。 この峠から北の方へ道があり、多分北浦の集落への道だろうと思い、 来た道と反対の道を下っていく。 道らしきものはあるが所々ヤブで、やがて大藪となった。 |
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10:49、お地蔵さんに出てきた。舗装道を下っていく。 |
10:51、北方向に高見島、広島が見える。 | |||||||
近くで木を切る音がする。 行ってみると男性が一人で作業中。色々お話を聞く。 今は詫間に住んでいるが、土日には生家の手入れの為に島に来ている、とのこと。大変だなあ。 つい長話になった。 |
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11時半の船に乗る予定と告げると、走らないと間に合わないと言われ、大急ぎで、大楠も見に行かず、港へ向かった。 |
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11:20、港に着き、一安心。 港には青いペンキで塗られた「埋め墓」が多く見られた。 |
11:30、乗客3人で出航。 | |||||||
志々島の背後の右に高見島、左に佐柳島が見える。 11:50、詫間の宮の下港に着いた。 |
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